kuu aalto は、現在準備中です。

2019/06/11 12:57


kuu aalto(クゥ アアルト) 前田奈月です。

 

前回の続きです。

 


私は仲のよかった従姉妹達から縁を切られたと思い、とても悲しみました。

受け容れるとは?① 従姉妹との縁が切れた話

  

 

 

「偶々こういうタイミングが重なっただけかもしれない。」

 

 そう思った私は、二人と毎年やり取りしていた年賀状も、変わらず書きました。

 

Bちゃんの方は、産休が明けたということも、他の人から聞いて知っていたのですが

「また復帰したら教えてね」というようなことを書き添えました。

 

私の期待っぷり、伝わります?(笑)

 

 


そして、2018年を迎えました。

  

こんなに誰かからの年賀状を心待ちにしたことはなかった。

 

けれど、

二人からの年賀状が届くことはありませんでした。

 

 

そしてそれと同じ月に、祖母が亡くなり、葬儀で会うことになりました。

 

 

もう真意を確かめる勇気はありませんでした。

ただただ気まずい・・・笑い泣き

 

けれど私は、あくまでも卑屈にならず、普通に話しかけようと決めて出掛けました。

そして、実際そうしました。

 

彼女たちも話をしてくれました。

 


けれどやっぱり、感じてしまいました。

 

これまでと違うよそよそしさ。

あまり話しかけないでほしいと言いたげな空気。

 

そしてその後に、叔父が最近になって

うちの両親との不仲の理由を従姉妹たちに話したことを知りました。


 

そこで私は絶望チーン

確信しました。

 

「やはり彼女たちは私と縁を切りたがっている 」



これ、宮川大輔に見えるの私だけ? 「あかん・・」

 

私が悲しかったのは、叔父が彼女たちに詳細を話したことではなく

「彼女たちそれぞれが」、私と離れる選択したことでした。

 

両親と叔父夫婦が、どれだけ不仲になろうと、私たちには関係ないと思っていた。


 

けれど、彼女たちは違った。

 

叔父がそうするように言ったのかまではわかりませんが

最終的に決めたのは彼女たち自身。


彼女たちが自分で決めたことに、「そりゃ、ないよ」 とは言えない。



「私は所詮その程度に思われていたのだ」




「怒り」というのは二次感情だと、昔読んだ記憶があります。

だとしたら、私の場合、怒りの前にあったのは「悲しみ」でした。

 

深い悲しみが、怒りへ変わり

その怒りは自分へではなく、彼女たちへ向けていました。

 


それはもうメラメラと!焚きつけたのも、薪をくべたのも私~

 

 私は、2017年に、さきこさんの単発セミナーやNotebookセミナーを受けていて

「事実と幻を区別する」という、基本的なところから教えてもらっていました。

 

今のこの話だって、事実が殆どない、大体がただの私の幻。

それはわかっていながら、確かめる勇気がない。


もっと傷つきそうで、とにかく恐い。


すごくモヤモヤしたものが、ずっと胸の中にありました。


そしたら、あるとき

「もう嫌ってもいいんじゃね?真顔と思いました。


「これだけ悲しい思いをしたんだから、嫌ってもいいんじゃないか?」

「いろいろよくしてもらったけど、さすがにもう嫌ってもいいんじゃないか?」

「もう、追うのもバカバカしいし」って。


 そうだそうだ、そうしよう!


 それで彼女たちを「嫌い認定」しました。


「嫌いでいいって認めよう。」

「嫌いって受け容れよう。」

 

嫌いな人のことを考えるのはよそう。

嫌いな人を思い出すものは全部捨てよう。

 

バッサバッサと切り落としていきました。


お月様