kuu aalto は、現在準備中です。

2019/06/13 10:30

kuu aalto(クゥ アアルト) 前田奈月です。



「受け容れるとは?」シリーズ、続いております。

このシリーズで、ブログのアクセス数が上がってドキドキしてしまいました。


このあたりのことも、シリーズが終わったら書いていきたいと思います。

(まだノート中です。必ず「ノート→ブログ」なので)



≪前回まで≫

従姉妹たちへの「悲しみ」が「怒り」へ変わり

それならと嫌い認定して、うまく受け容れたワタクシ。


その上感謝のワークまでして、いい感じに昇華できた♡


と思ったのに、むむーーっ・・・なんか・・あら??


受け容れるとは?① 従姉妹と縁が切れた話

受け容れるとは?② 悲しみが怒りへ。そして「嫌い認定」

受け容れるとは?③ 好き・嫌いはただの「好み」。だけど、なにかがおかしい。




お墓参りの後、氏神様へ参拝をして帰宅し

夕方になって、お風呂に入っていたときのこと。


自分のボディタオルが、だいぶ古くなっていることに気づき

「これ誰かにもらったんだっけ?―いや、自分で買ったな」と考えたとき、突然


従姉妹たちと、叔母が一度だけ

私に誕生日プレゼントをくれたことを思い出しました。


お互い誕生日など祝ったことはなかったので、それが最初で最後です。


たしか、「いつもよくしてくれているから」と

お揃いの柄の布製の小物入れ、印鑑ケースをくれました。

タオルも一緒だったかな?




湯船に浸かってぼんやりしていたとき、急に

「本当は大好きなんだよ」

と思いました。



何度ノートに向かっても「大好きだった」と出てきた。


いつもそれは過去形だった。



「嫌い認定したから、今はもう好きじゃない」



はずなんだけれど

「私は今も、大好きなんだ」 とハッキリ思いました。






そして改めて、ノートに向かいました。



これまでと違って、スラスラと筆が進む。



私はAちゃん嫌い、Bちゃん嫌い そうやって認定したけれど

それは、モヤモヤした気持ちから、早くスッキリしたかったからだ。


早く立ち直りたかった。


嫌いってすれば、楽になると思った。


嫌いってすることで

「あんたたちは私にそれだけのことをした。大人げない選択で私を傷つけた」

としたかった。


上書きしたかった。


対等であることを自ら拒んでいたんだ。



二人は私と離れると決めた。

「それなら仕方ない。追わない」と私は決めた。


「嫌いでもいいよ」と許可した。



それが「受け容れること」だと思っていた。



いま確実なのは、私は二人を好きだということ。

嫌われたかもしれない。相手の気持ちはわからない。


けどだからといって、私が嫌う必要なんて、なかったんだ。



怨むことは、何もなかったんだ。



思い出すたび苦しかったのは、

「どうして二人はそれを選択したのか?」ではなくて


「どうして私は『好き』なのに、『嫌い』としたのか?」

という自分に対する、心からの問いだったんだ。


だから苦しかった。



そんな風に書いていました。





感謝のワークもしたけれど、

私は一番大切な部分を素通りしていたことにも気づきました。


(以下まで引用)


しかしどんな出来事も全てがやっぱり「感謝」になってしまうなんて、私はどんだけ取りこぼしてないんだ、と自分で感心します。



取りこぼして「呪い」にする悪趣味ないもんね笑


そもそも「全ての気持ちが対等だ」と本気で思ってるから、自分の気持ちをめちゃくちゃ受け取れるのかもしれないですけどね。




前の記事で書いたように

自分の気持ちを丁寧に汲み取る(ご自愛・自分を大切にする)というのは

「コレクション」でも「ファッション」でもないからね。


もし嫌な気持ちの出来事を「呪い」にしてストップしているなら

「勝ち負けつけたまま」ということ。

勝手に「負けたまま」だから呪いになっちゃいます。



そういう状態では「願い事」も勝ち負けで願っているということ。



最初は苦しいだろうけど、

そこにお宝があるよハートハートハート



ありがとうなんて思えない!!

っていう「負けてる気持ち」を直視することから始まるんだハートハートハート



経験や気持ちを「選り好み=コレクション」にしないこと♡





もう、これ読んで、あらためて絶望しました。



>もし嫌な気持ちの出来事を「呪い」にしてストップしているなら

>「勝ち負けつけたまま」ということ。

>勝手に「負けたまま」だから呪いになっちゃいます。




ノートにも自分で書いてた。


好きを嫌いにした。ムリヤリ。


相手に負けないように。


私だけが好きでいることは、負けのような気がしてた。

勝手に、相手より「下」のような気になっていた。


だからウソをつくことにした。


自分をごまかして、人のせいにして、八つ当たりして、さっさとスッキリさせようとした。


スッキリしたつもりだった。

でも思い出すたび、引っ掛かって、苦しくて、悲しかった。




二極の世界で


好きでいたくないなら、嫌いにすればいい。


そうしていた。




>もし嫌な気持ちの出来事を「呪い」にしてストップしているなら

>「勝ち負けつけたまま」ということ。

>勝手に「負けたまま」だから呪いになっちゃいます。



ノートに

怨むことは何もなかったんだ。

と書いたとき


「あぁ、私は怨んでいたのだ」と、初めて認識した。



取りこぼして、呪いにしていた。





>ありがとうなんて思えない!!

>っていう「負けてる気持ち」を直視することから始まるんだハートハートハート


私は逆に、「ありがとうと思える私」にご満悦だった。


それで負け(私だけ好き)から逆転した気になっていた。


それはつまり、まったく心が込められていない、怨みでいっぱいの

上っ面だけの「ありがとう」。




二極の世界

勝ち負けの世界



もうないと思っていた

バグばかり起こすと思っていた



でも違った。



私はモヤモヤをスッキリさせたい

私は悪くないという正当性を示したい


それらの「メリット」が欲しかったから

今も二極の世界を、勝ち負けの世界を選んでいたかったんだ。



二極の世界ゆえの絶望。


これも、すべて私が選んだことなんだ。




しょぼん



「私は二人のことが嫌いなのではない」と自分で知ったとき

「好きでいていいじゃん」と思えたとき


なぜかすごく嬉しかった。


ずっと引っ掛かっていたものが溶けた気がした。



自分の本当の気持ちを知ること。

それを、ジャッジせずに認めること。



とっくにわかっていると思っていた。



これが私の望む、

私が設定したい「受け容れる」なんだ。




>最初は苦しいだろうけど、

>そこにお宝があるよハートハートハート




さきこさんのいうそれは、本当だった。





⑤に続きます



次でこのシリーズ完結♡ ..のはず!お月様