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2019/06/16 15:20

今日は父の日ですね♡


私はいつもはアルコールとおつまみを贈るのですが、今年は父の大好きなチョコレートを作りました。


昨日材料を揃えておいたのに、夜になったらすっかり忘れて寝てしまい、今朝作りました~(笑)



チョコを溶かす

→砕いたアーモンドとクッキーを混ぜ込む

→ラップで包んで冷蔵庫

→切る


という、園児でもできる超簡単なチョコレートです。


側面のシワはラップによるもの。


少し冷めてからラップで包めばいいのかもしれないけれど

それが待てない私。

(切り株みたいでよい。味がある。ということにする)



父の日とか母の日って、CMとかチラシとか、結構大きく打って出ますよね。


あと幼稚園とかでは「お父さん・お母さんの似顔絵」とか描いたり、それがどこそこに展示されたり。



私は、そういうCMとか見れば

「悲しくなったりする人もいるんじゃないか」とか


似顔絵とか見れば

「お父さんとか、お母さんがいない人ってどうするんだろう?」とか

「悲しい気持ちになったりするんじゃないか」とか思ってました。


あと、

「この人の前ではお父さん(お母さん)の話しない方がいいかな」とか考えることもあった。


生き別れにしろ、死に別れにしろ

どっかで

「お父さん(お母さん)いない人はかわいそう、気の毒」


そう思っていたのが、自分でハッキリとわかる。


別々に暮らしているとか、会ったこともないとか、もう会えないとか

とにかく、もう近くに居ないということを、気の毒がっていた。



いま考えると

本当に上辺だけで浅はか

傲慢

余計なお世話

って思います。




当たり前ですけど

お父さんとお母さんがいない人って、この世に一人もいない。



「父(母)なんて思ってない!私にはいない!」

と、している人もいるかもしれない。


それはその人の自由。好みだと思う。

(私の関与するところでない)


生みの親、育ての親とかいう言い方もあるけど


「私」の元、「私」を形成するための種と卵を持っていた人を

「父(お父さん)」「母(お母さん)」と呼ぶなら


みんな必ずいる。


近くにいても、とても遠くにいても。



そんなことを、考えました。






私は父には、しょっちゅうイライラしたり、ムカムカしたり爆弾

ケンカして口を利かなかったこともあります。



けれど、お父さんのことは大好きです。




そしてせっかく、父の日というものがあるだから

今ここで、改めて「お父さん」のことを思い浮かべてみる。



節約が大好きなお父さん

孫が大好きなお父さん

いろいろ口出しするお父さん

いつも何かと心配しているお父さん

自分はまだまだ若いときと同じように動けると信じて疑わないお父さん

車とバイクが好きなお父さん

器用なお父さん

修理が上手なお父さん

決して料理をしないお父さん

ゴミ出ししてくれるお父さん

お風呂やトイレ掃除をしてくれるお父さん

自分が正しいと思っているお父さん

勝負事にマジになるお父さん

近所の子供たちにも優しいお父さん

おしゃべり好きなお父さん



・・・キリがない(笑)



私はいろんなお父さんを知っているし

いろんなお父さんをまだ知らない。



お父さんがどう思ってるかはわからないけれど

お父さんは自分の人生を満喫しているように見える。


自分の価値観で、自分の考え方で

自分の好きなことをして、自分が嫌だと思うこともして

自分の時間を生きている。


そして、私のお父さんでいてくれている。





私は、世間で定義されているような『父の日=父に感謝する日、感謝を表す日』としなくてもいいよなって思っています。


無理に感謝する必要も、表現する必要もない。





けれど、シンプルに考えたとき




今、私がここでこうして幸せで在る。


「個」として、この世界で、たくさんのことを感じて、思考して、行動できる。


経験できる。



父がいなかったら、私はここにはいない。



父がいなくても

私の魂は、別の「私」として、別の場所で、別の経験をしていたかもしれない。



けどやっぱり、私は「今の私」がいい。


「今の私」がいるのは、お父さんのおかげ。




というところに、どうしても辿り着くのです。




お父さん、ありがとう




お月様